みなさん、こんばんは!明日からは4時半起床・・・なのに、ブログを書いちゃうjunoです!
さて僕は現在、久しぶりの修行ということでご本山の高野山に上がっています・・・
今回、僕が出仕(参加)しているのは「
勧学会(かんがくえ)」という行事です!
「勧学会」について詳しく説明したいのですが、今回は明日のことを考えて
説明はまた後日に譲り、ご本山のホームページから引用させていただきます!
高野山のお坊さんの学問研鑽の行事に「勧学会」があります。
高野山のお坊さんとしての細かい作法やしきたり・各種経典・
お大師さまの著作に関しそれぞれ勉強し、問答などを繰り広げます。
この行事は一般には非公開ですので、追って特集を組みたいと思います。
う~ん、簡にして要、なかなかいい説明ですが、追って特集を組むですとぉ
まあ、そんなことはさておき、この「勧学会」という行事は高野山の僧侶、
特に学問を志す「学侶(がくりょ)」にとっては最高の研鑚の場であると同時に、
自分の将来を決める重要なもので、鎌倉時代より連綿と受け継がれる行事です!
ですから「競望(きょうもう)」といって入学願いを師僧に願い出るのですが
これが狭き門で、大昔はこの座を争って激しい応酬もあったそうです・・・
今でも1年に10人ほどしか参加できませんので狭き門に変わりはなさそうです。
そして参加1年目を「新衆(しんじゅ)」、その翌年も「二年目」として参加し
それから10年以上経って、40歳を迎えるころに3度目の出仕があります!
たぶん「三回目」の意味でしょうが、「三年目」と呼ばれています・・・
上の画像は「勧学会」の出仕者ですが新衆と二年目の袈裟は「白」ですが
「三年目」からは黒い袈裟の着用が許されます(正確には二年目修了時から)!
黒色は「くろうと」の言葉どおり「ベテラン」を暗に意味しているそうです・・・
確かに新衆のときは三年目さんは遠い存在で、怖くさえ感じていました・・・
そして今までは練習期間として、ご本山の奥書院などで行ってきましたが
明日朝からは本番の「本会(ほんね)」に入り、場所も「
勧学院」に移ります!
この勧学院は一般には立ち入り禁止で、本会の時以外は門も閉まっています!
本会が始まれば写真の撮影なんか許してもらえるわけもありませんが、
本日は明日からの習礼(準備と練習)ということで撮影を許可してもらいました
中に入ると、正面には趣のある勧学院本堂があります・・・
この本堂は江戸時代終わりの文化3年(1816)に再建されたものですが、
檜皮葺、蔀戸(しとみど)という寝殿造りのような優美なたたずまいは、
勧学会が始まった平安末~鎌倉初期の当時の勧学院を彷彿とさせます・・・
蔀戸から除くと室内には御簾が張り巡らされ、本当に平安貴族の寝殿のようです・・・
さて、それではいよいよ“非公開”の勧学院の中を見せていただきましょう・・・
っと!お楽しみはこれからというところで申し訳ないッスが、今日はここまで!
というか、これ以上起きてるとマジで明朝が心配ですので、寝ま~す!