拒み続ける壁

みなさん、こんばんは!今日はちょっと肌寒い一日でしたね。
今日のお話は、正直面白くありません、またそれなりに長くなります・・・
そのことだけ、先にお断りしておきます。


今日は浜松拘置支所に今年最後の教誨に行ってまいりました・・・
このブログでも何度か触れましたが、私は教誨師という仕事もしています。
教誨師」とは、矯正施設において受刑者や拘留者に対して、
道徳教育や精神的な救済を行うことで、彼らの立ち直りを支援し
再犯を防止し、社会復帰の手助けをする仕事です。
つまり「刑務所で受刑者に話をしたり、カウンセリングしたりする」ことです。

(皆さんには縁のない場所ですし、その場所を知る必要もないのですが)
浜松拘置支所は浜松の街中からほど近い閑静な住宅街の中にあります。
最初に訪れた時、「こんな場所にあったのか!」と大変驚いたのを覚えています。
そこは皆さんのご想像どおり、高く、そして分厚い壁に囲まれています・・・
拒み続ける壁
そう・・・中の世界と外の世界の交わりを拒み続けるかのように・・・

とはいえ、全く外の世界と遮断されているわけではなく、
私たちのような教誨師は度々ここを訪れますし、
拘留者は制限があるものの面会も許されていますので
必ずといっていいほど誰かしらが面会に訪れています。
その面会者の中には、奥さんと思われる女性がいたり、
親御さんと思われる老夫婦がいたりと様々です・・・
入口は一つですからどうしてもすれ違ったりするのは避けられません。
言葉こそ交わしませんが、軽く会釈をするとき垣間見る
面会者の表情は一様に疲れ、悲しみに沈んでいます・・・
そんな表情を見るたびに、罪を犯すことの恐ろしさや悲しさを
胸が苦しくなるほど強く感じてしまいます・・・

さて拘置所に入ると、私は所長室に通され、教誨の時間を待ちます。
所長がいらっしゃる時は、お話をしながら待たせていただきます。
時間になると刑務官の方に案内されて、刑務所棟に入ります。
鉄格子のはまった窓からの光だけの仄暗い無機質な廊下を行くのですが、
総距離にしてわずか数十メートルの短い間に、鍵のかかった鉄の扉を
5回通らねばなりません、その度に刑務官が解錠し、扉を開け中に入る、
通過したらまた施錠する・・・これが繰り返され、鍵を開ける音と
また鍵を閉める音を聞くたびに「ここは刑務所の中なんだ・・・」という
重苦しい実感を五感で味わうのです・・・

刑務所棟の2階にある講堂が教誨の会場となります・・・
私が着くころには受刑者は既に着席して待っています。
浜松拘置支所は築数十年の相応に古い建物であるため
年季の入った木の柱や窓枠、古びた机などを見ると
昔通っていた小学校の校舎を彷彿とさせる郷愁を感じますが
窓の外の鉄格子を見た時、「ここは紛れもなく刑務所なんだ」
ということに改めて気付かされるのです・・・

静岡刑務所に属する浜松拘置支所はA級受刑者の収容が専らです。
A級とは初犯且つ比較的刑期の短い受刑者を指しますので、
ここにいる受刑者は罪の軽いものが多いということになります。
実際に教誨を受講する受刑者は胡麻塩頭の初老の受刑者から
少年の面影が残る青年受刑者までさまざまですが、
パッと見た感じでは、罪を犯すようには見えないというのが実感です。

それでも、窃盗、傷害、性犯罪、薬物事犯など世間や無辜の市民に
被害を与えた犯罪者であることには変わりありません・・・
教誨中も彼らの後ろには刑務官の鋭い眼が光っていますし、
約1時間の教誨中、居眠りはもちろん私語やよそ見も許されていません!
日常の生活も厳しく管理され、贅沢や勝手は全く許されません・・・

奇しくも、今日の所長さんがこんなことをお話されていました
「これからいよいよ受刑者も私たちもつらい季節に入ります・・・」
実は関東以西の刑務所には「暖房設備が無い」のです!
浜松拘置支所は日当たりはいいので真冬でも晴れた日は温かいそうですが、
夜や曇りや雨の日はお世辞にも過ごしやすいとはいえないそうです・・・

さて皆さんはお気づきでしょうか・・・?
所長さんのお話には「私たちも」という言葉が含まれていますよね!
実は「刑務所棟全体が暖房設備無し」なんだそうです!!
考えてみれば、指導する刑務官は、受刑者と時間や空間を共にするのですから
酷暑の夏は一緒に汗をかき、極寒の冬は一緒に寒さに震えているのです!

それは何故か?・・・答えは「刑務所とは何のための施設か」にあるのです!
刑務所とは決して、犯罪者を懲らしめるためだけの施設ではありません・・・
真の目的は受刑者の「更生と社会復帰の援助」にあるのです!
ですから刑務官の毅然とした態度や厳しい叱咤には罪を犯した者への
怒りや憎しみではなく、「早く立ち直ってほしい」という思いが込められているのです・・・

収監から日の浅い者の中には、絶望と不安で不眠を訴えたり
情緒不安定になったりする受刑者や拘置者もいるそうです・・・
ましてや不自由な受刑生活を長い期間過ごしたのであれば
殆どの者が「二度とここへは戻りたくない!」と思うはずです!

実は刑務官や我々教誨師など受刑者の更生に携わる者の
すべてが心の底から願っていることが、まったく同じで
二度と此処へは戻ってこないでほしい!
ということなのです・・・


話は「浜松拘置支所の壁」に戻ります・・・
日本の刑務所の脱獄率の低さは世界一、それもダントツです!
そもそもが脱獄を企てる者が殆どいないのだそうですが
それは受刑者の管理が行き届いている賜物だと思います・・・
ですから高く分厚い壁も「脱獄防止」の機能はもちろん
その意義すらも殆どないはずだと私は考えるのです・・・

教誨の帰り、西日が照らす拘置支所の壁を携帯で撮影するついでに
壁にそっと手を当てて、その感触を確かめてみました・・・
そこには取り付く島のない冷徹さと異様なまでの威厳を感じます。
そして冷徹さと威厳の奥に隠された切実な思いも!

やはり貴方は拒み続けているんですね・・・
ここに来てはならない、二度と戻ってきてはならないと・・・


残念ながら犯罪を犯す者も、また更生を誓いながら再び犯罪に手を染め
刑務所に舞い戻ってくる者も後を絶ちません・・・
私も微力ながら、そうした不幸な犯罪者を再び生み出さないように
精進していきたいと思います、まだまだ駆け出しの教誨師だけど・・・

いつの日かあの壁が「拒み続ける」ことを止められるように・・・


同じカテゴリー(日々の徒然)の記事
ハレを創る
ハレを創る(2012-10-23 02:14)

歓喜なる邂逅①
歓喜なる邂逅①(2012-07-02 22:15)

この記事へのコメント
「きょうかい」…お話しを聞いているときには字の想像すらできませんでした。
こういう字を書くんですね。
知らないことは、幸せな事なのかもしれませんが。

お疲れ様でした。


なかさ2
Posted by なかさなかさ at 2012年06月20日 00:25
教誨師って、普通の生活をされている方には
なじみのない仕事ですもんね・・・
たまーにドラマにも教誨師が出てきますが
なぜかキリスト教の教誨師さんばっかり(汗)
Posted by juno at 2012年06月25日 09:18
自分は12月25日まで浜松拘置支所に受刑者として収監され25日に出所した者です。何人かの神主さんやお坊さんがローテーションで訪れてくれました。自分の記憶が正しければ、はまぞうさんはスマホで曲を聴かせてくれた46歳の教誨師さんではないでしょうか?おかげさまで沢山の知恵や知識、人を思いやる心が身につき感謝しております。自分は今失われた時間を取り戻すべく、日々現場での作業に明け暮れています。浜松の先生方に宜しくお伝えください。有難うございました。
Posted by 203 at 2015年01月20日 06:54
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
拒み続ける壁
    コメント(3)