みなさん、こんばんは!今日は夜の自由時間がとれたので、久々の夜UPです!
そして今回にして漸く本格的な「高野山探訪記」が書けそうです・・・
さて、まず高野山の概要について簡単に説明しちゃいましょう・・・
高野山は和歌山県伊都郡内の標高約900mの場所にあります
弘仁10年(819)に弘法大師空海によって開創されて以来、
高野山真言宗の総本山であると同時に、真言密教の聖地となっています!
山内には総本山金剛峯寺をはじめ約120ケ寺の塔頭寺院がある
世界的に見ても類例を見ない「巨大な宗教都市」なのです!
実際に高野山そのものが高野町というれっきとした地方自治体なのです!
っと!話が脱線しそうなので元に戻すと、高野山の中心は2つあって
一つが弘法大師が今もいらっしゃる「奥ノ院」、もう一つが根本大塔はじめ
数多くの仏堂が立ち並ぶ「壇上伽藍」と呼ばれる場所なのです・・・
今回から数回にわたって、まず「壇上伽藍」を観ていきましょう!
金堂(こんどう)
金堂とはご本尊様がおまつりされている本堂のことです。
弘仁10年(819)の創建以来、6度の火災に遭ったために現在の本堂は
昭和3年に再建されたものです。一見、総木造に見えますが、実際には
建物本体は耐火耐震を考えた鉄骨鉄筋コンクリート造で、表面を木造で
仕上げてあります!見た目にも全く違和感を与えない精緻な造りから
当時の技術の粋を集めて造ったことは想像に難くありません・・・
本尊は薬師如来(若しくは阿閦如来)で、開創当時の本尊像は昭和元年の
火災で焼失してしまったため、本山の要請で当時の彫刻家の頂点にあった
高村光雲仏師によって刻まれたものです・・・
根本大塔(こんぽんだいとう)
16丈(48.5m)の高さを誇る朱塗りの姿は高野山シンボルであるとともに
その名前の通り、真言密教の聖地高野山の根本をなす重要な建物です!
本尊は胎蔵大日如来、その周囲を金剛界四仏が取り囲み、16本の柱には
十六大菩薩が、四隅の壁には真言八祖の像が描かれ、この堂内そのものが
立体の曼荼羅として構成されています。こうした構成は弘法大師ご自身が
描かれた密教の世界を具体的に表現したものといえるでしょう・・・
この塔も金堂と同じく5度の火災に遭い、昭和12年の再建です・・・
大塔の前にいたら、ちょうど修行道場専修学院の修行僧たちが巡拝にきました!
高野山の秋は短く、やがて冬という修行には厳しい季節が到来します・・・
寒さや修行の厳しさに耐え抜いて、晴れて一人前の僧侶となるのです!
「頑張れよ!」と心中で応援しながら、
かつての修行時代を思い出していました・・・
孔雀堂(くじゃくどう)※左
准胝堂(じゅんていどう)※右
孔雀堂は孔雀明王をおまつりしたお堂です。平安時代の終わりに干ばつがあり
雨請いの法を延杲上人が見事成就させたその見返りに、雨請いの本尊である
孔雀明王を高野山でおまつりすることを許されて造られたお堂です・・・
お堂は昭和になって再建されたものですが、本尊孔雀明王像は創建当時の
快慶作で重要文化財に指定されていて、高野山の霊宝館で拝観できます!
准胝堂の本尊准胝観音は、弘法大師が得度(僧侶になる儀式)を行う際に
本尊として自ら造立されたと伝えられています。この堂も幾たびも焼失し
現在の堂は明治16年(1883年)に再建されたものです・・・
御影堂(みえいどう)
「御影」とは真言宗では、ご尊像として表された弘法大師様を指します!
つまり「御影堂」とは弘法大師様をおまつりしたお堂のことなのです・・・
宝形造りの御影堂は、元来は弘法大師様が日常起居され拝まれていた
持仏堂というお堂でしたが、後に弘法大師の直弟子の一人、真如法親王が
お大師様を写生された御影(もちろん秘仏です)がおまつりされるように
なって「御影堂」と呼ばれるようになったそうです・・・
創建以来3度の火災に遭い、現在のお堂は嘉永元年(1848)の再建です
そんなわけで「壇上伽藍」のご紹介第1回は中心部をご覧いただきました・・・
次回は一風変わったお堂もあるけど、意外に目立たない西側をご紹介します!