釜石市と袋井市

みなさん、こんばんは!照りつける真夏の日差し太陽 もしかして梅雨は・・・!?

さて、境内には7月9日・10日の万灯祭を控え、のぼりも立ち始めました!
釜石市と袋井市
でも今回のお話は(もかな?)、万灯祭のお知らせではありません・・・

唐突なんですが、袋井市は今回の東日本大震災の被災地の中でも
とりわけ岩手県釜石市の復興支援に尽力しています・・・
静岡県では各自治体がそれぞれ受け持ちの被災自治体を決めて
全体支援もしながら、特に受け持ちの自治体の復興を支援しています!
でも、ただ割り当てだから支援しているというわけではなくて、
実は袋井と釜石には100年以上に及ぶ深い繋がりがあるからなのです人差し指

さて釜石といえば、近代日本製鉄発祥の地であり「製鉄のまち」として有名ですよね!
そしてまたまた唐突ですが、皆さんは横山久太郎という人を知っていますか?
いえ、袋井の人も含めて知らない人が多くても当り前の人物なんですが、
釜石に行けば、この名前を知らない人の方が少ないかもしれません・・・

それもそのはずで、この横山久太郎は、“製鉄の都”釜石の基礎を創った男であり、
近代日本製鉄業の父祖として知られる「釜石を代表する偉人」だからなのです!
今でも新日鉄の釜石製鉄所の中には横山久太郎の銅像が建てられています・・・
釜石市と袋井市
でも本当のサプライズはこれから・・・
実はこの横山久太郎ですが、なんと袋井市の出身なのですびっくり

横山久太郎は安政2年(1855)に今の袋井市村松の貧しい畳商人の家に生まれました。
幼くして父を失った久太郎は苦労しながらも、商人としての修業を積み、
19歳の年に、同じく遠州の出身で横浜で政府の御用商人として成功していた
田中長兵衛を訪ねます。長兵衛も久太郎の商才を見抜いてすぐさま採用し、
久太郎もそれに応えて才覚を表し、ついには長兵衛の娘婿として
横須賀支店支配人を任されるまでに出世をするのです・・・

ちょうどその頃、釜石では御雇外人によって設計施工された官営製鉄所が
全く機能せず廃炉になり、政府はその後の運営を(というか処分を)
半ば強制的に田中長兵衛に下げ渡し、押しつけてしまったのです・・・
廃炉の処分(処分費だけでも大赤字)に困ってた長兵衛に対し
久太郎は「千載一遇の好機だ!」と製鉄所の復活操業を提案します・・・
はじめは無謀な考えと反対だった長兵衛ですが、久太郎の熱意にほだされ
遂には釜石製鉄所の民営復興を決意したのです!

久太郎は初代所長に任命され、製鉄業の全ての権限を任され
高橋亦助や村井源兵衛などの優秀な人材も恵まれ、操業を開始します・・・
しかしながら、その熱意とは裏腹に製鉄は全く上手くいきません!
失敗を重ねること40有余回・・・ついには資金も底をつき、
久太郎も私財を売り払っても、従業員の給与さえ支払えなくなってしまい、
ついには社長の長兵衛からも「操業停止」を命じられてしまいます・・・

全職人を集めて、廃炉の決定と解雇を涙ながらに説明しますが、
誰一人として彼らを責めるものはなく、むしろ反対に
「我々職人は製鉄以外に為す術を知りません!それに所長たちには
 本当によくしてもらった!だから此処においてください・・・
 成功するまで頑張りましょう!その間の賃金は要りません!
 食べるものと寝る場所があれば充分です・・・」
と、操業の延長を願い出ます・・・横浜に赴いた久太郎の留守を守る
高炉主任高橋亦助と機械主任村井源兵衛は感涙にむせびながら
全職人とともに最後の一回に全てを懸ける決意をします!

時に明治19年(1886)10月16日、通算49回目の操業が行われました!
それは単純に偶然の産物だったのかもしれません・・・
しかし僕は彼らの熱意が奇跡を起こしたのだと信じたいです!
職人たちが固唾を飲んで見守る熔鉱炉の湯口から、白煙を上げながら
美しく完全に溶けた製鉄がオレンジの川となって流れ出てきます!
成功です!大成功です!近代日本の製鉄がここに誕生したのです!
今でも10月16日は「釜石製鉄操業記念日」として釜石の特別な日だそうです・・・

今回の未曽有の大災害で、特に多くの尊い人命と貴重な財産を失った釜石市・・・
市民の努力とともに必ずや復興するであろう、その手助けは
同じ国民として当然のことですが、袋井市民は、或いは遠州の皆さんは
一日も早い釜石市の復興を願う気持ちが、より強くなったと思います!

釜石・・・私たちの郷土の偉人が築き上げ、愛してやまなかった釜石・・・
こんなにも縁が深い釜石のことを、誰がそのままにしておけますか!

製鉄成功から10年後の明治29年(1896)、釜石は三陸地震の大津波に襲われます!
今回の震災の津波同様に、沿岸部の多くの家屋が津波によって破壊され、
当時の釜石市の人口約6,500人のうち、なんと5,000人の方が亡くなったそうです・・・
久太郎と釜石製鉄所も当然罹災していますが、久太郎は震災後すぐに
被害の少なかった部分を避難所とて開放し、被災者を受け入れたそうです・・・
その時、被災者に拠出した白米はなんと6,300キロにもなるそうです!

私たちの中にも、久太郎と同じ「遠州の熱い魂と人情」があるはずです!
今度は郷土の偉人の思いを継いで、僕たちがその心意気を見せる番です!
現在、袋井市では「オール袋井」で官民一体となり釜石支援に取り組んでいます!

法多山でも今度の万灯祭に併せて、釜石市支援のための募金活動を行います!
釜石市と袋井市
万灯祭にご来場いただき、「頑張ろう!釜石!」の募金箱を見かけたら
どうか今在る自分たちの幸せを、頑張っている釜石の皆さんに分けてください・・・

法多山の夏の風物詩万灯祭7月9日()、10日(の開催です!
万灯祭の詳しい情報は、法多山オフィシャルサイトをどうぞ→コチラ

しかしグダグダ書いてるうちに、今回はかなり長文になってしまいました・・・
駄文に最後までお付き合いいただきました方に感謝申し上げます!
(てか、これ読んでくれてるってことは、最後まで読んでくれたんですよね汗

万灯祭のお楽しみ情報はこのブログでも逐次お伝えしてまいります・・・お楽しみに!



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