高野山壇上伽藍 番外編1

みなさん、おはようございます!このブログもすっかり“高野山モード”ですねニコニコ
さて今回は前回お知らせしたとおり、建物ばっかりじゃ飽きちゃうので
「番外編」ってことで、ちょっとばかり特定のモノに絞ってお送りします・・・

高野山の「壇上伽藍」は密教の聖地として1200年の歴史があります!
もちろん今までご紹介した建物にも一つ一つに謂われや歴史がありますが
そこに生えている「木」の中にも様々な伝説や逸話が伝わっているのです!
そんなわけで今回は「壇上伽藍の木」についてのご紹介です人差し指

三鈷松(さんこのまつ)
高野山壇上伽藍 番外編1
金堂と御影堂の間という、壇上伽藍のど真ん中に生えている松です!
この「三鈷松」には高野山伽藍創建にまつわる伝説があります・・・
弘法大師様が唐の国で密教を修められ帰国される際、日本に向けて
三鈷杵(両側が三叉に分かれた密教法具)をお投げになられました。
「我が国に真言密教を弘めるのに相応しい道場となる地があるならば
どうか其処へ飛んで行くように・・・」そう願って投げられた三鈷杵は
遥か東方に飛び去りました。これは「飛行三鈷(ひぎょうさんこ)」と
いう有名な弘法大師伝説の一つになっています・・・そして帰国後、
密教修禅の道場を求められ全国を行脚され高野山に辿り着かれました。
すると、一本の松の木が金色の光を放っているのを見つけ、近寄ると
お投げになられた三鈷杵が枝にひっかかっており光を放っていました。
そこで高野山が密教の道場として相応しい霊地であると確信されたのです!

この「三鈷松」の松葉は、通常の松葉が二本なのに対して、不思議なことに
ちょうど三鈷杵のように三本に分かれているんです!そのようなわけで、
この三鈷松の松葉は「お大師様ゆかりの縁起物」として珍重されています・・・
でも実際に拾おうと思うと、これがなかなか見つからないんです!
なんでかっていうと、近くの土産物屋のおっちゃん、おばちゃんたちが
朝のうちにお店で配る用に根こそぎ拾ってっちゃうからなんだそうです汗
そんなわけで結構レアなんですが、僕も拾えるように頑張ってみます・・・

登天松と杓子芝(とうてんのまつ しゃくしのしば)
高野山壇上伽藍 番外編1
六角経蔵の北側にある、これらの樹には大変ユニークな伝説があります。
平安の終わりごろの高野山に如法上人という有徳の僧がおられました。
上人はある日突然に、弥勒菩薩の浄土である兜率天(とそつてん)へと
昇っていかれそうですが、この松の頂から天へ登られたと伝えられることから
この松を「登天松」と云うそうです。話は続いていて、上人の弟子であった
帰従(小如法とも)さんは、ちょうどお昼ご飯の支度の真っ最中だったのですが
師匠が天に昇られるのを見て、慌てて後を追いかけ、天に昇られたそうです・・・
で、あんまり慌ててたので、しゃもじ(杓子)を持ったままだったそうで
二人が天に昇られた後、空からしゃもじが落っこちてきたそうです汗
しゃもじが落ちた辺りから芝が生えてきたことから「杓子芝」と云うそうです

で、まだ話は終わず、伽藍の北の山の中に「沓掛松(くつかけのまつ)」という
樹があるそうですが、上人も突然の昇天で慌てていたのか、天に上る際に
うっかり履いていた沓(靴)の片方を落としてしまい、それが引っ掛かって
いたことから、その松を「沓掛松」と呼ぶそうです・・・面白いですね!

逆指藤(さかさしのふじ)
高野山壇上伽藍 番外編1
逆指の藤は、准胝堂の北側にある藤の木のことです。高野山中興の祖にして
釈迦文院の開基、祈親上人が植えられたと伝えられています。祈親上人は
奈良の人で、長和5年(1016)に58歳にして高野山に登られました。
ところで現在も密教の聖地として栄える高野山ですが、かつて「暗黒の時代」
ともいうべき荒廃した時代がありました・・・正暦5年(994)に大火があり、
伽藍をはじめ殆どの堂宇が焼失し、残った者たちによって数年間は復興が
目指されましたが、一向に復興の兆しは見られず、ひとり減り、ふたり減り、
ついには高野山は無人の荒野と化してしまったそうです・・・それから約20年後、
祈親上人が高野山に昇られたときは、焼け野原に草木が生い茂り、残った堂塔も
朽ち果て、弘法大師がまつられた奥之院でさえ深く苔むした状態だったそうです・・・
弘法大師を深く信仰していた祈親上人は、そうした惨状を目の当たりにしても
くじけることなく、不退転の決意を持って復興に当たられようとしたそうです・・・
まず壇上伽藍の復興を手掛けるに際し、神仏に請願し「私も諦めることなく
また高野山を密教の聖地として復興させようと思う・・・神仏よ、もしご加護を賜い
この不可能と思われる復興が可能になるというのであれば、どうかこの藤の木を
根付かせたまえ!」と、手折った藤の枝を天地逆さまに地面に指したそうです・・・
天地逆さまに植えた木が根付く道理は普通はないのですが、祈親上人の決意に
応えたのか、不思議なことに程なく根が生え、木が生い茂ったということです!
そして祈親上人と戻ってきた人々によって高野山は見事復活を遂げたのです!

ご覧のとおり、現在の逆指の藤は何代目かの小さな木で、名木ではありません・・・
でも小さな名木の後継者は、私たちにこんなことを伝えてくれてる気がします・・・
現在、大震災の被害に遭った東北地方をはじめ日本全体が、困難は必至であろう
復興の道を歩み始めています・・・道程は長く遠く、また厳しく険しいでしょう・・・
しかし、挫けぬ心と和合する力があれば、やがていつの日か辿り着けるはずです!
日本の民は、私たちの先祖はそうして幾度とない困難を克服してきたはずです!
そしてその熱い血と志は、紛れもなく私たちも受け継いでいるはずです!
日本の民の誇りをもって、力を合わせて、復興への道を歩んでいきましょう・・・

今回は番外編その1ってことで、壇上伽藍の伝説の木をご紹介しました!
次回、番外編その2は「カネ&コガネ」のお題で行きます!どうぞお楽しみに・・・


タグ :高野山

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