みなさん、おはようございます!ようやく天気も回復してきたようです・・・
高野山のある紀伊半島は今回の大雨で大きな被害が出ました・・・
南海鉄道の高野線も途中の鉄橋が危険ということで現在も不通の状態です!
今回は「高野山探訪記」の本格的なスタート第1弾ということで、
まずは身近なところから僕が今回逗留している塔頭寺院を紹介します・・・
僕が泊めていただいているのは
釈迦文院(しゃかもんいん)さんというお寺です!
大通りから細い小路を入った奥にある瀟洒な塔頭寺院ですが、

数ある高野山の塔頭寺院の中でも、大変由緒のあるお寺様です・・・
その歴史や由緒をお寺のしおりから少し抜粋させていただきました!
釈迦文院は弘法大師御人定後百七十余年後、祈親上人の開基にて、
高野山が雷火により一山灰燼に帰し、住山の僧さえもまばらとなり、
奥の院、伽藍諸堂の香煙も絶え、第一の荒廃期となった。上人はこれを
復興し、高野山を発展させた。奥の院に万灯会を行い、有名な孝女お照の
献じたお照の一灯もこの時である。又上人は名の如〈、両親の菩提のため
常に経を唱えておられた。山の中興者として世に大師再来の身と仰がれ、
後村上天皇より常照上人と諡(おくりな)された。
その後名僧大徳住し、徳川時代家康公より、山内一千余ヵ寺の中で
名室寺院二十ヵ寺に選ばれ、全盛を極めた。大壇主は岡山津山域主、
播州赤穂域主森家代々(森蘭丸一族)の菩提所として、庇護をうけた。
又大阪、静岡、但馬、美作、大和の諸国に末寺五十余寺を擁していた。
重要文化財には本尊大日如来、不動明王、大師筆益田池碑銘を蔵する。
まあ、このように非常に由緒あるお寺様なのです(って読んでくれましたか

)
門をくぐると、左手に庫裡と客殿の入り口が、奥には本堂が見えます・・・

注意深い方は、なんか本堂の白壁の部分が多いような気がしませんか?
本堂の扉の部分をクローズアップしてみるとこんな感じです・・・

何層もに分厚く漆喰が塗られていて、まるで土蔵のようですね!
実はこれが高野山の塔頭の本堂の典型的且つ特徴的な造りなんです

高野山は数多くの塔頭寺院が隣接していますが、一番怖いのが
火災や、他所からの類焼・延焼です!もしも打つ手がない場合は
本堂の扉(釈迦文院さんは今は外してありますが、その跡が写真で
確認できます)を閉じてしまえば、中の本尊様は無事というわけです!
客殿入口の獅子と獏の木鼻・・・迫力があってカッコいいです
まあ外観はこんなところにして、いよいよ中を拝見いたします・・・が!
ちょうどお時間となりましたので後編はまた後ほどに・・・