みなさん、こんばんは!今日も「初夏」という言葉どおりの陽気でしたね!
さて、今回はちょっと変わったお題でお送りします・・・
まあ「お寺」関係のブログならば、本来は相応しい内容なんだけどね
実は
前回の記事の内容についてこんなコメントがありました・・・
会社の仲間とおそろいのTシャツを着れたことも楽しかったのですが、
住職に真面目な質問をしてもよろしいですか??
仏教でいう御利益の意味がよくわからないので教えて頂きたいです!
広辞苑で調べてみると【神仏が衆生に与える利益。神仏の霊験。】とありますが霊験…?
利益というと私欲のニュアンスがあると感じるのですが、それとは異なるのですよね?
直接お聞きしたらよかったのですけど、後からどーにも気になってしまって(^_^;)
よろしくお願いします
これは
amour fuseeさんのお友達のさやもじゃさんからの質問です・・・
発端は彼女たちが着ていたお揃いのTシャツのこのバックプリントなんです!
う~ん・・・結構するどい質問ですね・・・
この質問の回答は「密教」について踏み込まなければなりません!
そんなわけでいくつか段階を分けて説明しますね・・・
まず「利益(
りやく)」と「利益(
りえき)」という言葉ですが、
本来は仏教用語の呉音読みの「利益(りやく)」が元の言葉です・・・
今から1000年ほど前から使われていた言葉のようですが、
本来の意味は、さやもじゃさんが広辞苑で調べたもので
大凡合っていますが、詳細は後の記述に譲ります・・・
で、時代が下るに従って「得をする」こと全てを指すようになります!
そして本来の意味と区別を図るために「りやく」と「りえき」という
それぞれの読み方をするようになったと考えられています・・・
特に「りえき」は明治時代からは西洋から入ってきた経済学の中の
「収入から費用を引いた残り」のことを指すようになったようです・・・
現代では数値上のプラスマイナスのプラスのことを意味し、
反対の言葉がマイナスを表す「損失」になりますから、
「利益」を求めることは、他者の「損失」を厭わないこと
すなわち「私欲」のニュアンスがあってもおかしくないわけです
さていよいよ「
ご利益とは何ぞや?」を語る前にこんな話を・・・
一般に仏教とは「欲望を捨て去れ!」という教えだと思われています。
しかし厳密にはこれは間違いで、特に真言密教の教えでは
「
欲望は肯定されるべきもの」として説かれています・・・え!?
そりゃいくらなんでも信じられませんよ・・・junoさん
なるほど・・・では、言い方を変えてみましょう!
「欲望」とはすなわち「
生きるための力」なのです!
人間の根本的な欲望である「食欲」や「性欲」が無くなってしまったら・・・
人は飢えて死に、子孫を残すことができずに人類は滅びます!
また「向上しよう」という欲望が消えれば、退化の一途を辿るのみです!
仏教ではこうした欲望を様々に分類して定義づけています・・・
「ケーキが食べたい」「新しいパソコンが欲しい」「女の子にモテたい」
こうした刹那的な欲望のことを「
小欲」と呼びます。
特にこの「小欲」について、他人を害してまで達成しようという欲望を
「
貪(貪欲)」といい、他者はおろか自らをも害するものとしています!
さやもじゃさんが「私欲」といっているものは「貪」に等しいですね・・・
その一方で「小欲」に対するもので「
大欲」というものがあります!
これは読んで字のごとく「スケールの大きな欲望」のことですが、
「世界征服を企む」とか悪の秘密結社みたいなことではなく、
自分だけがよければいいという「私利私欲」のためでなく、
周囲の人、大勢の人の利益になるようなものに対しての欲のことです!
例えば、科学者の「環境を害さない新エネルギーを開発したい!」
という「研究心」などが分かりやすい例かもしれません・・・
そして究極真実の「大欲」とは仏様がお持ちになられている
「全てのものに利益を与え、救済したい」という願いなのです!
お!漸く此処で「
利益」という言葉が出てきましたね
いよいよ本題に入ろうと思いましたが、長~くなっちゃったので
続きは次回のお楽しみ~♪ って、みんな読んでくれてるのかなぁ
