歓喜なる邂逅①

みなさん、こんばんは!今年も一年の半分が過ぎちゃいましたね・・・
来週にはいよいよ万灯祭もあって、その告知をしなきゃいけないんですけど、
今回は先日出張先で素敵な場所を見学できたので、備忘録も兼ねてそのお話を・・・

先月末に高野山真言宗の東海地区の研修会で犬山市に出張してきました!
犬山といえば、最古の天守閣である国宝犬山城などもありますが、
まあ今回は研修会のために行ったので観光とかするつもりはありませんでしたが
研修会場だった名鉄犬山ホテルで、休憩時間にふとホテルの外を見ていたら、
何やらステキの匂いがプンプンする日本庭園が見えたので、ホテルの方に
見学できるのか尋ねたところ「有料ですが宜しいですか?」というお返事が・・・
「ホテルの庭なのに有料なの?」と訝しく思っていたら、続けてホテルマンが
「但し、国宝の如庵の中は見学できませんので・・・」と説明してくれたので
はじめて、そこが三名席の一つ“如庵”のある名庭“有楽苑”だと気づいたのです!

歓喜なる邂逅①
こちらが国宝の茶室“如庵”です!・・・って、「こんなのが国宝?ガーン」って感じですよね・・・
でも、茶の湯の世界では利休好みの“待庵”や小堀遠州好みの“密庵席”と並んで
織田信長の実弟にして茶人としても名高い織田有楽斎がつくった如庵が三名席として
最高峰の茶室とされるそうで、現に国宝に指定されている茶室はこの三名席だけです!

さてこの如庵ですが、世に名高い“暦張り”や“有楽窓”、点前座の中柱を中心とする
茶室の構成など、茶人有楽斎の並々ならぬセンスが素晴らしいとのことなんですが
僕は茶の湯の風流はさっぱりですので、如庵の説明はこれぐらいにさせていただいて・・・

実は今回のメインは如庵を囲む庭園“有楽苑”についてなんです・・・
実はこの有楽苑は如庵をここに移築するために造られたという庭園なんです!
ですから有楽苑そのものを説明する前に、ざらっと如庵の数奇な運命を・・・

如庵は先述の「移築」の言葉のとおり、もともと犬山にあったわけではありません!
当初は織田有楽斎が隠居所とした京都建仁寺の塔頭正伝院にあったものです・・・
江戸時代には既に名席として名高かった如庵ですが、時代が移り明治になると
廃仏毀釈の風潮の中、正伝院自体が廃寺を余儀なくされ、如庵も正伝院の書院も
祇園の業者に払い下げになり、「有楽館」という宴会場の一部となったそうです・・・
さらには明治の終わりにこの有楽館も経営危機に陥り、またまた存在の危機を迎えますが
三井財閥の総家三井家が移築を条件に買い取りを申し出て、如庵も正伝院書院も
そして付随する庭もまるごと東京麻布の三井家の本宅に移築されることになったのです!
その後、神奈川県大磯の別邸に移築されたことで戦火も免れ、終戦を迎えます・・・
終戦によって財閥が解体され、またもやその存続が危ぶまれる状況となりましたが
有楽斎の故郷尾張の鉄道会社名鉄グループが買い取り、移築、今に至るのです・・・

もしどこかでボタンの掛け違えがあれば如庵はこの世に残っていなかったでしょう・・・
そんな数奇な運命を経て、今の世に現存しているだけでも国宝の価値はありますね!
蛇足ですが、明治初期の神仏分離(廃仏毀釈)と太平洋戦争(敗戦)によって
貴重な文化財(特に仏教美術)の多くが失われ、また海外へ流出しました・・・
今さら悔やんでも詮無いことですが、返す返すも口惜しいことですねしょんぼり

で、話を戻すと、僕は庭園が好きなんで、どうしても庭に目が行っちゃいます・・・
如庵の露地(茶室の庭)を見ると、これも如庵移築時の昭和47年築造なんで
まあ戦後の新しい庭なんですが、石造品がスゴイです、お宝の山ですキラキラ

まずは如庵から見て露地右奥にある井筒“佐女牛井(さめがい)”
歓喜なる邂逅①
井筒の側面には「元和元年」の年号と「有楽」の名が刻まれていますが、
もともとこの井筒の本歌は、茶人村田珠光が愛用した洛中の名水“佐女牛井”を
有楽斎が復興した時につくった井筒らしいですが、出来が良かったので、
自分の隠居所にもちゃっかり同じもんを作っちゃったのがこれらしいです・・・
京都の街中の本歌のほうは戦中のどさくさの中でなくちゃったそうですがガーン
実際に井戸があるわけではないので、あくまでも庭を装飾する景物なんですが
角井筒にはない優美さが、如庵の侘びた露地にはピッタリだと思います・・・

つづいては如庵よりの飛び石の先にある蹲踞の手水鉢“釜山海”です!
歓喜なる邂逅①
写真がヘボなのでそうは見えませんが、これも天下に名高い手水の名品です!
って、ただの穴のあいた石じゃね?って思われた方、正解です!
こういう自然の力で穴のあいた自然石を用いた手水を“水彫形”といいますが、
美しい形もさることながら、その出自が大変に由緒あるものとして有名なのです!
この“釜山海”は加藤清正公が朝鮮出兵の折に釜山から持ち帰ったもので、
清正公より有楽斎が譲り受け“釜山海”と銘打ったということだそうです・・・
ちなみに“釜山海”の前にある大ぶりの前石(関守石が置いてある石)にも
天正七年の銘がありますが、おそらくは有楽斎が信長公から給わった記念でしょう・・・

この如庵を中心とする有楽苑の庭なんですが、やっぱりスゴイ!何がスゴイって
こうした由緒あるお宝が至る所にあるのもすごいんですが、コンセプトがスゴイ!
詳しくは次回にお話ししようと思いますが、この如庵の移築に当たって
いくら国宝指定の素晴らしい茶室だったとしても、単体の存在では意味を為さない・・・
もちろん茶室は露地と一体となってはじめて茶室という空間が完成されますが、
とにかく如庵に相応しい本物を庭を作庭しようという意気込みがコンセプトなのです!
そんでもって、この露地を含む如庵を中心として有楽斎の数寄の世界を
三次元&実物大で表現しようとしたのが“有楽苑”だと僕は思うんです・・・
つまりこれは国宝建造物の保存事業ではなくて“有楽斎ワールド”の再現なんです!

そしてそんなとんでもないものを創っちゃったトンデモナイ人物とは・・・?
と、長くなりましたので、続きは有楽苑の他の場所を絡めながら次回に・・・



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