みなさん、こんばんは!今回は1周年記念企画・・・というわけではなく、
単に長くなりすぎちゃったので前篇・後篇に分けてお届けしています・・・
というわけで、五月晴れの中を出掛けた「
茶畑探訪記 Part2」の始まりです!

茶処袋井の一大茶産地である豊沢地区は菩提を訪ねた
前回の記事・・・
「
欣奏累遣」という意味不明なタイトルの謎が今回明らかになります!
(って、誰もそんな謎の解明なんかどうでもいいよね・・・とほほ

)
いやいや、誰かがきっと待っている!・・・と気を取り直し本題へ!
さてお茶畑訪問の帰り途、茶畑の脇に石碑があるのに気付きました・・・
欣奏累遣・・・と刻まれています!
「欣奏累遣(きんそうるいけん)」とは中国の隋の智永によって編まれた
『真草千字文』という漢字を教えるために作られた千字の漢詩の中の一節です

書き下しでは「よろこびをあつめて、わずらいをやる」となります・・・
また現代語では「(世の中の)
悲しみ憂いが去り、喜びが訪れる」となります!
かつて、菩提の地は「菩提新田」と呼ばれた荒れ果てた開墾地でした・・・
特に幕末から明治にかけては多くの入植者がこの地を開こうと訪れました
彼らの多くは財産を持たない元下級武士たちで、家族を連れての入植だったそうです・・・
今では碧緑の茶畑が広がっていますが、元々この一帯は石だらけの不毛の土壌で
畑作にも米作にも不向きな土地でした(茶畑はそういう場所にあるのです)
過酷な条件の下、山を拓き、石だらけの地面を耕し、不慣れな茶づくりが始まりました・・・
彼らの熱意とは裏腹に現実は厳しく、茶の生産は中々上手くいきませんでした・・・
或る者は失意の中、全てを捨ててこの地を去り、また或る者は貧困と疲労の中、
体を壊し、ついには命を落とし、この地に亡骸を埋めることになりました・・・
※現在も菩提のあちこちに開墾で命を落とした人を供養するお地蔵さんがあります
希望を踏みにじる辛い現実を目の当たりにして、人々はどうしたでしょうか・・・?
そうです!皆さんの思っているとおり、彼らは決して諦めませんでした!
「いつかは幸せになる!」「みんなで頑張る!」そんな思いを胸に開墾を続けたのです・・・
一代で終わらなければ、その子どもが孫が、その遺志をついで励んだのです!
そしてついにその努力は実り、開墾と茶の栽培に見事成功したのです!!
当時の人々の、そして今の豊かな大地を耕す彼らの子孫の胸にある言葉・・・
「
弛まぬ努力によって、悲しみは去り、喜びが訪れた・・・」
そうです!まさしく「
欣奏累遣」の言葉が彼らの思いなのです!

この言葉を心に茶畑を見たとき、その美しさが単に形状や色彩のみではなく
長年の努力の結実、すなわち「人の業(わざ)」によるものであるから・・・
ということを、改めて実感することができました・・・
今、我が国は先の震災によって、失意と疲弊の中にあります・・・
「もう日本は駄目かもしれない・・・」そんな弱音が胸をよぎります・・・
でも、もう一度「日本の底力」を信じてみませんか?
日本は芯の強い国です!日本人は努力の民族です!
過去の幾多の苦難も、底力を発揮し、力を合わせ乗り越えてきました!
今は悲しみの淵に在っても、やがて努力の果てに喜びに辿り着く・・・
「
欣奏累遣」・・・被災地に、日本国中にこの言葉を贈ります!