みなさん、こんばんは!今日は啓蟄、冬眠中の虫が春暖に目覚める頃だそうです!
今日は肌寒い雨でしたが、境内でヒキガエルを今年初めて目撃しました・・・
さて今回のお題は、
この回に同じく“お宝自慢”だったりするわけで、
ビミョーにというか、かなり鼻もちならないかもしれないのでご覚悟を・・・
まあ今回自慢したいものは2点ございまして、蘊蓄や講釈も2倍(当社比)なんですが、
今回のお宝は新たに入手したものではなくて、何十年か前にある方から戴いたものです!
拓本聖徳大王神鐘飛天図屏風(二曲) でございます!
ご想像通りというか、エキゾチックな絵柄を見てもわかるように、日本のものではありません!
8世紀の統一新羅時代を代表する仏教美術であり、韓国最古にして、最大、最美の釣鐘と
称賛される聖徳大王神鐘の表面に鋳造された飛天図を拓本したものです
この聖徳大王神鐘ですが、本名よりも俗称である“
エミレの鐘”のほうが有名かもしれません・・・
“エミレ”とは“お母さん”という意味ですが、この名前の由来には悲しい伝説があるそうです・・・
この聖徳大王神鐘は新羅第35代景徳王が亡父聖徳王の供養のために鋳造を命じたものですが、
高さ 3.64m、口径2.25mという巨大な釣鐘であったため、何度も鋳造に失敗したそうです・・・
責任者をしていた鋳造師の男が困り果てていたところ、夢枕に「最愛の娘を人身御供にすれば
釣鐘は完成するであろう」というお告げがあり、これ以上の猶予はならぬと小さな我が子を
煮え滾る鋳造炉に投げ込んだところ、見事に釣鐘が完成したと謂われています・・・
形も表面の彫像も素晴らしく、鐘の音はこの世のものとも思われぬほど美しかったそうですが
よくよく耳を澄ますと幼い女の子の声で「エミーレ(お母さん)!」と叫ぶ悲痛な声が
聞こえたことから“エミレの鐘”と呼ぶようになったという悲しいお話が伝わっています・・・
※日本でも丹後の成相寺の「撞かずの鐘」という同様な伝説がありますね
ちょっと話を戻すと、これは“拓本”ですから上から紙を当てて墨を打った作品ということで、
版画と同様にいくらでも刷り増しがききますので、あんまり珍しい代物じゃないようですが
この釣鐘は国宝第29号に指定されており、現在では拓本を取ることはまず不可能です・・・
かなり以前の時代には、拓本が取られていたようですが、それでも国内に出回っている数は
そう多くないはずです。それに加え、この拓本はかなり上手に取られていることもあり
歴史的価値や、金銭的価値はないかもしれませんが、かなりのレア品といえるでしょう
法多山ヘビーユーザーの皆さんの中には「この屏風、どっかで見たかも!?」って方が
いらっしゃるかもしれません(いないか

) 実は
コトコト市やカフェ事業を開催するときに、
客殿“紫雲閣”の廊下の奥の方で間仕切りに使われていたのがこの屏風なんです!
まあ美術品とはいえ調度品ですので、僕はなるべく“活かし使い”をするようにしているんです

特に二曲屏風って使い勝手がいいのでガンガン使っていたら、結構傷みが目立ってきたので
再表具に出していたものがこの度返ってきたのです!(もちろん大切に使ってたけどね

)
そんなわけで、また皆さんに見ていただけるような使い方をしていこうと思います・・・
そんなわけで今回は・・・って、まだ1点しか紹介してねーぞ

とツッコミ入れましたね・・・
タイトルに①って入ってるじゃん!・・・あ、ホントはさっき①を追加したばっかなんですが
まあ、だらだら書いてたら、長くなっちゃったんで2回に分けることにしました(毎度ですが)
いや、昨日あの
ナデガタが久しぶりに袋井に来てるってんで会いに行ったんですが・・・

一次回は進学しても成長しない
郷之ら高校生軍団がメンバーの大半というカオスっぷりで
(焼鳥屋でドリンクのオーダーの8割がコーラ&カルピスって団体は迷惑この上ないと思う

)
二次会は丑三つ時まで暴走を続ける
倉布人さん以外は意識朦朧の涅槃状態でしたが
久々にナデガタの3人にも会えたし、このブログを見てくれてるらしくて嬉しかったです
でも酔っ払いの倉布人さんには「ブログのjunoの自己酔いっぷりが笑えるし、“続く”とか
言っといて放置しっぱなしのネタにツッコミ入れたくなる」と大爆笑されてしまいました

ええ、ええ結構でございます!なんてったって此処は天下の“junoワールド”ですから
これからも溢れる自己陶酔と有り余る身勝手さでいっぱいのブログを展開してまいります!
というわけで、続かないかもしれない今回の続きをお楽しみに・・・